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ショウ ちゃん


 秀水中川秋穂先生の「秀水会」への思い出
 秀水会の由来について、中川先生は「秀水」創刊号において「私の名前秋穂(しゅうすい)をもじって秀水会」とすることに落ち着いた。しかし実は私の名前の読み方に通ずることに意味があるのではなく、「水」そのものに意味がある。水は古い水も新しい水も、これを一緒にすればたちまち同じ水に解け合って、その差別を残さない。これ程交わりが強いということと、水にはすぐれて奥深い「五徳」が備わっていることを含めて、水の如き交わりしようということであると述べられ、我々は先生がお亡くなられた後もこの交わりをして来ました。
       水の五徳
 1.自ら活動して他を動かしむるは水なり。
 2.常に己の進路を求めて止まざるは水なり。
 3.障害にあい、烈しくその勢力を百倍し得るは水なり。
 4.自ら清らかに他の汚れを洗い、清濁併せ容るるの量あるは水なり。
 5.洋々と太洋を充たし、発して蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ霧と化し、凝っては、玲瀧たる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり。

 今回が最後の「ウルトラ秀水会」ということで、そのメインイベントと、中川先生のお墓参りをすることにした。
それが思いもよらず、先生のお墓が見つからない、良くよく探すと、墓参の跡らしい空き地があり、お墓の跡地と判り、先月に墓仕舞いされたことが判明し、持参のお花を空き地に置き合掌した。
 想えば、先生が晩年入院されていたアルメイダ病院を、山口君と二人で見舞った時に、先生が書かれたお墓の立面図を示され、そこに、「教え子一同代表秀水会」と書かれ、我々に同意を求められた。「先生まだ早いですよ」と言ったが墓碑には賛同した。それから一週間後先生は天国に召された。先生の「秀水会」への思いに涙したのを思い出します。

 先生が選んだお墓は無くなったが、お寺はどうなったのだろうか。
お寺は臼杵市野津町にあり「臨済宗妙心寺派晋現寺」を9月に尋ねて、お寺は以前のまま檀家となっていることを確認し、お経をあげて頂き帰ってきました。
このお寺は県下でも有名な紅葉の名所の古莉で、11月頃が見頃ですので機会があれば是非お参りして下さい。



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