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アリ ちゃん


 若き日々の想い出
 
 昭和60年6月に急に韓国への出張と調査を指示された。マツダの購買本部で、一番若手の部長として、いやな出張であったが、引き受けざるを 得なかった。
 韓国では、国内の産業振興策として裾野の広い自動車産業に着目して、国策として自動車産業の育成を最重点産業としていた。当時は、日本の自動車メーカーとしては、マツダのみが韓国に進出していた。
 企業産業(現在のK)に、マツダの小型乗用車の生産を委託して、韓国市場のみで販売していた。
韓国の通産省より、自動車産業の育成について協力して欲しいとの依頼がマツダにきた。  当時の海外出張計画が残っているので、それを参考にしながら、当時の様子を再現してみます。
現地でのチェックリストを事前に作成して、調査の上、改善案を提言することにした。6月24日に大阪空港からSeouⅬに到着して、通産省を表敬訪問した。1週間程度の予定で、調査内容を簡単に説明して了解を得た。
雑談していると通産大臣の金さんは、大分高商の卒業生であることが、判った。私が、大分大学経済学部の卒業生であるとこを告げると二人で意気投合したものです。
帰りに名刺を頂き、あらゆる便宜をはかるよう裏書してくれた。この名刺は効果テキメンで、調査がスムーズに実施できた。
最初に起亜産業を訪問して、主要な取引先20社をリストアップしてもらい、この
20社を対象に調査することにした。起亜産業の資材部長は、日本語が達者であった。広島高等師範学校卒業したと聞き、韓国の経済会では、日本で学んだ人達、リーダーとして活躍している人が多いとのことであった。
事前に用意したチェックリストにもとづき部品メーカー20社を調査の上、評価表を作成した。いずれも部品メーカーとして合格点を得るメーカーがなく、日本の技術支援が不可欠と判断した。
現地駐在の住友商事にも協力を依頼して、日本の部品メーカーと技術提携を依頼して、部品メーカーの育成が急務であると判断した。私の方から日本の部品メーカーに依頼して技術供与契約を要請した。そのフォローと調整を現地の住友商事にお願いした。
韓国には7日間滞在して当面の社務を完了して6月30日に帰国した。
 今回の海外出張を契機に、その後次々に海外出張が続くことになった。アメリカ、カナダ、東南アジア諸国、アフリカ、ヨーロッパ等、訪問、調査、交渉等で数十ヶ国を走り回ることとなった。
大変忙しい日々であったが、今では貴重な体験であったと思っている。




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